百姓になりたい百姓百太郎の日記

現在無職の百姓百太郎が、真の百姓を目指す日々の記録

精神論のプチ逆襲

 

題名通り、「病は気から」を科学的に検証した本。

 

心の持ちようで病気が治ったり、逆に病気になったりする様々なケースを取り上げた世界中の研究を紹介し、筆者の見解を述べている。

 

ただ患部を切り開いて縫い合わせるだけの形だけの手術や外見は本物っぽいけど偽物の錠剤や塩水の注射やパブロフの犬の真似事や催眠術やVRや優しい声がけや経済的な状況や瞑想や社会的なつながりや呼吸法や信仰心が、自閉症パーキンソン病過敏性腸症候群や全身性エリテマトーデスや臓器移植後の拒絶反応や慢性疲労症候群や慢性疼痛や関節リウマチやストレスや老化やうつ病HIVを治癒したり、その症状を改善したりしたケースが多数集められている。

 

科学が産み出した西洋医学は、心と体を切り離して治療を行ってきた。

 

科学的に測定しづらい心というものは、目に見えて手で触れられて物差しで測れて秤で量れるものしか扱えない科学とは根本的に相容れない。

 

本書はその心の働きの力を、統計学や生理学などの科学的手法で見直す、近年の医学の潮流の一つを概観する。

 

結論としては、精神論は医療において万能の処方箋ではないが、さりとて無能の迷信でもなく、一定の効果がある。

 

それはつまり、これまで心の働きを無視してきたいわゆる科学的医療と同じ立場だということだ。

 

科学的医療も、万能には程遠く、さりとて無能ではなく、一定の効果を示す。

 

これは、どちらが正しくて間違っているかという議論ではなく、車の両輪なのだ。

 

片側のタイヤだけいくらいじくりまわしたところで、反対側のタイヤの問題を放置したまま無理やり運転していては、車はがたつきながらいずれ止まるか壊れるかしてしまう。

 

科学的医療は目覚ましい功績を挙げたが、それを精神論の否定とイコールにしてしまう風潮も産み出してしまった。

 

考えてみれば、科学的医療は、人類史においてここ最近まで未発見の状態で埋もれていたか、発見されていても迷信に迫害されて社会の片隅に追いやられていた。

 

精神論を否定する科学的医療の狭い了見は、積年の迫害に対する復讐でもあるかもしれない。

 

この本は、精神論の一定の効果を認めつつ、効果のない、あるいは害さえあるインチキ精神論への警鐘も同時に鳴らしている。

 

歴史上、迫害の加害者と被害者が逆転する事例にはことかかない。

 

了見の狭い旧来の科学と、見直されつつある精神論の、迫害のいたちごっこに陥ることだけは避けた方がいい。

 

プチ逆襲ぐらいで矛をおさめて、これからは手に手を取り合って、人類の健康状態を向上していってもらえたらいいなと切に願う。

 

まあ、旧来の科学的医療に精神論が勝っているところがあるとすれば、お金がかからないところだろう。

 

そのせいで、研究が進みにくいという弊害もある。

 

医学に限らず、研究という活動にはお金がかかる。

 

医薬品の開発なんかは特にそうだ。

 

そんな研究にお金を出す人や団体があるのは、出資した以上の利益が期できるからだ。

 

ところが、精神論に基づく医学は、全然お金にならない。

 

瞑想で痛みが軽くなることが証明されても、誰も儲からない。

 

むしろ、鎮痛剤の売れ行きが悪くなるので、製薬会社なんかは困る。

 

いい結果が期待できる研究でも、お金にならないなら、出資者として手を挙げる意義は小さい。

 

精神論に基づく医療が迫害されている背景には、科学だけでなく、資本主義の台頭もあるのかもしれない。

 

皮肉なことに、資本主義の方は、景「気」というくらいで、人間の気や心から生じる欲望を原動力とした活動であるのだが。