百姓になりたい百姓百太郎の日記

現在無職の百姓百太郎が、真の百姓を目指す日々の記録

一筋の希望

 

天才を考察する―「生まれか育ちか」論の嘘と本当

天才を考察する―「生まれか育ちか」論の嘘と本当

 

うだつも収入も上がらない僕みたいな凡人未満の人間に、天才や偉人や成功者へ至る道がある(あった)と教えてくれた本。

 

いわゆる天才は、特別な才能を天から与えられたごく少数の希少種である、という一般的な観念を科学的な根拠や実例を挙げて否定する。

 

「配られたカードで勝負するっきゃないのさ」は、世界一有名なビーグル犬の名言だが、人間にとっての配られたカードにあたるのが遺伝子だ。

 

カード、という例えだと、ポーカーやブラックジャックのような、ほんの何枚かのカードをイメージしてしまいがちだが、僕たちに配られたカードであるところの遺伝子は、実に22000枚ぐらいある。

 

多。

 

この22000枚のカードで役を作るわけである。

 

しかも、ポーカーやブラックジャックのように、決まった枚数や手順があるわけではないから、その組み合わせは無限大だ。

 

しかも、配られたからといって、そのままでは使えないカードもある。

 

このカードは、固いパッケージに包まれていて、開けるのにはそれなりの労力を費やさなければならない。

 

いわゆる天才たちの一部は、このパッケージを開けるために並々ならぬ努力と時間を傾けた人々なのだと筆者は主張している。

 

使えるカードが増えれば、その分作れる役も増えるのだから、より強い役を組める可能性も増すというわけで、天才は、その配られたカードの中で、他の人がほっぽったままにしている、封印されたカードをこじ開けて、他の人よりも多くの手札を使って有利にゲームを進めている人々の総称なのである。

 

配られたカードは変えることはできないが、使う枚数を増やすことは努力次第だ。

 

「努力も才能だ」という反論がすぐに出てくるが、それも配られたカードの中の、パッケージに包まれた何枚かのカードであり、そのパッケージの開け方もこの本にはちゃんと紹介されている。

 

天才とは、文字通り天から与えられた才能だと絶望し、最初からあきらめていた僕みたいな人には、ぜひ一読して希望を抱いて欲しい。