百姓になりたい百姓百太郎の日記

現在無職の百姓百太郎が、真の百姓を目指す日々の記録

百姓になりたい

こんにちは。

 

百姓百太郎(ひゃくしょうひゃくたろう)です。

 

この日記は、百姓を目指す百姓百太郎の日々の生活記録です。

 

百姓百太郎は、埼玉県在住の36歳の男です。(2019年7月11日現在)

 

仕事はありません。

 

いわゆる無職です。

 

正確には、10年強勤めていた職場と退職に向けた協議の最中で、厳密にはまだ無職ではありませんが、現場には出ておらず、気分の上ではほぼ無職です。

 

さて、無職になったからには、まず考えるべきは生活の糧です。

 

仕事は辞めますが、生きることを辞めるわけではありません。

 

生活費を稼がなくてはなりません。

 

すると、やっぱり仕事をしなければなりません。

 

そこで百姓百太郎が目を付けたのが、ブログのタイトルやハンドル名にも入れた「百姓」です。

 

「百姓」って、農業のこと? と思われる方がほとんどかと思います。

 

悪い意味での、いなかの人、みたいな使われ方もあります。

 

「百姓」の言葉の定義はいろいろあるみたいです。

 

時代ごとに意味が違うこともあったようです。

 

ここで、百姓百太郎が目指す「百姓」とは、「百の仕事を持つ人」という意味です。

 

昔のいわゆる「百姓」は、農業を基礎として、色々なことをやっていました。

 

というより、生きていくのに必要なほとんどのことを自分でやっていたのです。

 

例えば、煮炊きをするためにたきぎを集める仕事があります。

 

現代に置き換えると、これはガスや電気といった燃料エネルギーを手に入れる仕事です。

 

百姓百太郎を含めたほとんどの現代人は、山へたきぎを拾いに行ったりしないと思います。

 

かといって、天然ガスを掘り出してボンベに詰めて家まで持ち帰ってお風呂を沸かしたり、自前の発電機で発電してスマホを充電することもしていません。

 

電気は電気会社に電気料を払って電線を通じて送電してもらいますし、ガスはガス取扱業者にガス代を払ってボンベで自宅まで届けてもらったりしています。

 

 ということは、たきぎを集めて煮炊きに利用している時点で、「百姓」は、農業と電気会社とガス取扱業者の三つの仕事をしていることになります。

 

現代には、たくさんの仕事があります。

 

ある調査では、一万七千種類もあるそうです。

 

そして、社会やテクノロジーの急速な変化に伴って、仕事の種類もどんどん増えています。

 

百姓百太郎は、これまでいわゆる専門職に従事してきました。

 

でも、こんなにたくさんの仕事があるのに、10年前に選んだ仕事が一番自分に適した天職なのか、という疑問を抱いていました。

 

そして、天職が一つとは限らないのではないか、とも最近は考えるようになりました。

 

おりしも、働き方改革で、副業が政府レベルで奨励されている時代です。

 

本業に対する副業を表す意味の一部には、そこに費やす時間や、そこから得られる収入が本業より少ないことがあります。

 

ですが、企業の寿命が縮まり、一説には10年なんて数字も見かける昨今、長い人生から見れば、一つの企業に正社員として勤めるという形の「本業」の方のウェイトはどんどん小さくなっています。

 

つまり、本業と副業の差がどんどん縮まっているのです。

 

ならばいっそ、「本業+副業」ではなく、「副業+副業」という働き方も十分にありうるのではないか、と百姓百太郎は考えました。

 

そして、「副業+副業」の考え方をさらに推し進めて、「副業+副業+・・・=副業×100」という考え方に至りました。というか、憧れました。

 

百の天職。

 

それが百姓百太郎が目指す「百姓」という働き方です。

 

多分、政府が奨励する副業とは、「二足のわらじ」の内の片方のわらじのイメージなのでしょう。

 

百姓百太郎がイメージする「副業」は、「ちりも積もれば山となる」のちり一粒です。

 

そのちり一粒がたくさん集まった「山」を、百姓百太郎の生活を支えてくれるほど大きくするための日々の活動(というか、試行錯誤というか、四苦八苦というか、七転八倒)の記録を、この日記に残していきたいと思います。

 

まずはこの日記が、百姓を目指すための最初の「ちり一粒」になります。

 

この日記は、自分の日々の活動を振り返るための反省文ではありますが、いずれ百姓百太郎のような「百姓」を目指す人の助けになる情報源の一つになればいいな、と大それたことを夢見てもいます。

 

もしここまで百姓百太郎のへたくそな文章を読んでくれた聖人君子がおりましたら、心からの感謝を申し上げます。